新潟市の良い所は1歳児保育の手厚さです。
認可されているこども園は、基本的に国が定める職員配置基準に沿ってそれぞれの年齢における子どもの数に応じて、定められた先生の人数以上を配置しなくてはいけません。
例えば0歳児は子ども3人に対して先生1人を配置する必要があります。なので0歳クラスの子どもが6人だった場合、先生は2人以上必要となります。
以下、国基準の子どもの人数に対する職員配置数を年齢ごとに記載します。
0歳児:先生= 3: 1
1歳児:先生= 6: 1
2歳児:先生= 6: 1
3歳児:先生= 20: 1
4歳児:先生= 30: 1
5歳児:先生= 30: 1
となっております。
最近、保育士の子どもに対する配置人数が問題となっており、この度の岸田内閣が掲げている異次元の少子化対策にも、職員配置を改善することが1つの案として挙げられていました。
しかし、大変残念ながら色々な事情により75年ぶりとなる職員配置の改善はなくなり、配置を手厚くした場合は運営費を加算するという事になりそうです。
一方で! 新潟市は新潟市未満児保育事業という独自の事業により、1歳児の配置基準を<子どもの人数:先生の数=3: 1>としているのです。これは国の定める基準より2倍の配置基準です。
国が1歳児の配置基準を6:1から5:1に変えることすらできない中で、新潟市は「3:1」とかなり手厚い職員人数で1歳児の保育をすることが可能なのです。
新潟市は1歳児を3: 1で配置すれば、その分を加算額として給付してくれます。なので認可されたこども園は、安心して1歳児について国基準の2倍の職員配置をすることができるのです。
そして、保育の質を担保するために、1歳児を担当する職員は、1人以上が保育士として3年以上経験があり、さらに乳児保育歴が1年以上あること、もしくは保育士として通算3年以上経験があり、公的機関での乳児保育の研修を済ませている必要があります。
この新潟市の配置基準はとても重要であり、全国でも革新的な単独事業だと思います。ほんとすごいです新潟市。
ただ、その分昨今の保育士不足も相まって、1歳児クラスを国基準より2倍の職員配置にするための職員を確保することが、どの園も大きな課題となっているのは事実ですが、、その話は、今回は置いといて。
手厚い新潟市の職員配置とその効果
では、なぜ1歳児を国基準より2倍の職員配置で保育をすると良いのでしょうか。どのような効果があるのでしょうか。
このことについては新潟県私立保育園・認定こども園連盟が実験・調査をしています。
実験の内容は以下のとおりです。
ある日の昼食時間、1 歳児を担当する保育者(有資格者)1 人が、テーブルについた3人の子ども、6人の子どもの食事を(時間をずらして)それぞれ介助します。テーブルにつく子どもの数(3人もしくは6 人)は違いますが、メニューは同じで介助する保育者も同じです。
そして配膳が終わり、「いただきます」をしてから 10分間の様子を録画・録音します。
そのデータを元に保育者がそれぞれの子どもにかけた言葉を数えた結果を比較しています。
その結果は子どもが6人の時と子どもが3人の時で結構な差がでました。
まず、テーブルにつく子どもにかけた言葉の数は
子どもが3人の時は平均64回となりました。対して子どもが6人の時は平均31回となりました。
さらに、
子どもが6人の時は、3人の時に比べ、「声をかけられる子」と「声をかけられない 子」の違いが著しくあったそうです。3 人の場合は、言葉がけの数に最も大きな差がみられた場合でも、一番言葉がけが少なかった子と多かった子の差は 4.6 倍(160語対35語)でした。一方6人の場合は言葉がけが少なかった子と多かった子の差はなんと最大 18.7 倍(54 語対 3 語)となりました。ご飯を食べている時に、3回程度しか声をかけられなかった子どもがいるということです。
さらに子どもが3人の時は先生が子どもに対して共感的な言葉かけや繰り返しの言葉をよくかけていたそうです。
これは子どもの様子を見て、子どもの思いや関心事に寄り添いやすいことを示しており、子どもにとっても安心感につながります。
職員配置を手厚くするからこそ大切にしたいこと
次に、園庭で子どもたちと遊んでいる時に1歳児の子供の数:先生の数が6: 1の時と3: 1の時で、どれだけ子どもたちを視覚的に確認できているかを示したものです。こうしてみると3:1の方が、子どものことを幅広く見えていることがわかります。
上の図は1歳児の保育士配置の検討(第2報)より抜粋しました。
ただ、3対1の時でさえ先生が見えてない子どもがいることも事実です。
これについては、保育者の怠慢ではなく、保育教諭の子どもに寄り添うと言う専門性を行動で表した結果かなと思います。
例えば、園庭で子どもがじーっとしゃがんで手を動かしていた時、何をしているか気になりますよね。
そこで先生が近寄ってみると、片方の手にしゃもじを持ってもう一方の手で小さい石をしゃもじに乗せていた。そのような姿を見て先生はこの子はどんなことをイメージして、石を乗せているのだろうとじっくり見て、その子の関心事を捉えようとするんです。
はい、その時に保育者はその子1人に注目して、他の子は見えなくなってますよね。
常に先生が子どもを見えるようにする状態を保つという事は、もはや監視の仕事です。
なので、子どもの安全面を守る事はもちろん大事ですが、職員配置の手厚さは、常に子どもがどこで何をしているかを視覚的に見えることを可能にするためではなく、先生が子ども一人ひとりの思いに寄り添いやすくするために必要だと考えた方が良いですね。
手厚さだけでは不適切な保育は変わらない。
これまで1歳児クラスを国基準の2倍の職員配置を定めている新潟市を絶賛し、なぜ1歳児の子どもの人数:先生の数が3: 1だと良いのかを話してきましたが、職員の配置を手厚くすれば、昨今ニュースでも騒がれている不適切保育がなくなるのでしょうか。
私はなくなるとは思いません。
なぜか、
例えば子育てについて考えてみてください。
親1人で子どもを1人見ているだけでもめちゃくちゃ大変じゃないですか。1:1ですよ!?
兄弟が3人いたとして、親1人で兄弟3人を見るのってめちゃくちゃ大変じゃないですか!?(すみません、私が主観的に日々そう思ってるから、思わず興奮してしまいました。)
両親2人と1歳児の子ども1人の3人でご飯を食べているとしましょう。まず1人は食事の介助が必要ですね。
そこで子どもが「ちゃちゃ!」と叫びます。
ちゃちゃ?ちゃちゃってお茶のこと? それではとお茶をコップに入れてあげます。
そうすると子どもが首を思いっきり振りながら、「ちゃちゃ〜」と泣き叫びます。
いやお茶あげたよね!?何が気に食わないのかと両親2人で考えます。ちゃちゃとはお水のこと?、もしかしたらコップが嫌だった?と、、
そうしてお父さんが、あっ昨日お茶を水筒であげたと情報をお母さんに伝え、「もしかして!」とお母さんがお茶を水筒に入れ直して子どもに渡します。
そうすると子どもはやっと満足して泣き止みます。
さて、この一連の流れで、この子どもの癇癪は、単純に養育者が2人いるからといってすぐ収まるかというと、解決の手立てがなかったら収まりませんよね。
もしコップのお茶を水に入れ替えて提供していたら、THE ENDです。
他にも両親2人いれば、眠くてぐずっている子どもの着替えは早くなるのでしょうか、自分でしようとするのでしょうか
夜の寝付きが悪い子どもを両親2人で寄り添い、さすったりすれば寝るのでしょうか。(逆に寝なそう、、)
排泄にしろ、食べることにしろ、睡眠にしろ、生活での切り替えの場面、集団で動く場面、大人の都合で一緒に動いてもらう場面、様々な場面で子どもは葛藤しますが、その葛藤に対峙する大人もまた決して平常心ではいられませんし、そこで気持ちを抑えられなかったり、落ちてしまったりするのもすごーく理解できます。
だからこそ大事なのは子どもが場面場面で葛藤を表現している時に対峙する先生が、その子どもの思いを受け止めて、その子が自ら主体的に動こうとする援助をしようとする意識です。たとえ着替えをしてくれなくても、片付けをしてくれなくても、泣き止んでくれなくても、泥臭く関わり、向き合う姿勢が大切だと思うのです。
そのような意識や姿勢を先生が持っていることが前提で、そこでさらに職員配置が手厚ければ一人ひとりに寄り添う余裕ができるでしょうし、おのずと先生のスキルもアップしていくのではないかなと思っています。
だから私たちも、新潟市単独の未満児事業に甘えず、できるだけ子どもの心に寄り添い、気持ちを受け止め、子ども達が主体性を発揮できるよう、保育を行っていきたいと思います。
参考文献
https://daycaresafety.org/Niigata_Final_Report_2019.pdf