幼少期に体験した人との関わりの積み重ねが、大人になった時に他者へ関わり方に影響を与えていることは、大体の方が実感としてあるのではないかと思います。
特に乳幼児期は、大人や保育教諭との信頼関係が築かれることによって、心の安定が作り出されます。
では、乳幼児期に一番大事な信頼関係をどうやって築いていくのか
こども園教育保育要領では、信頼関係は子供一人ひとりの気持ちを受容し、共感する関わり、そしてその関わりを継続していくことで育まれていくと考えられています。
子どもは自分の気持ちに共感し、答えてくれる人がいることで自分の気持ちを確認し、安心して表現したり、行動したりすることができるようになります。
家庭でも信頼関係の構築は基本的に一緒だと思います。温かい受容的な態度や雰囲気、そして子どもを見守る眼差し、生活の中で、互いに認め、信頼し合う関わりを通して、子どもは生涯にわたる人との関わりの基盤となる基本的信頼感を培っていくのだと思います。
ただ、このような姿勢や関わりを一貫して行うのは非常に難しい!
保育の場面で語ると、例えばクラスで様々な遊びが展開していく中で、先生、あれやって、これやって、一緒に遊ぼう、先生、これしたいなど、目まぐるしく子ども達からの先生に対する要望があれば、やはり今日はできないと断ってしまったり、後で手伝いに行こうとして、片付けの時間になってしまったり、、そういった事は往々にしてあります。
また、家庭では暖かい需要的な態度だけでは、やっていけない状況がたくさん起こるわけで、なんでそんなことやるの!?と理解できず、ついつい苛立ってしまうこともしばしばです。(ちなみに私はつい最近カブトムシを家の中で逃した息子に感情がコントロールできなくなりました。)
また一定期間の間子どもには「荒れ」と言う時期があるもので、なんか最近うちの子落ち着かない、とか、何に対しても反抗的だとか、そういった時期は、もう親子関係が悪くなったりもしますね。
上記のような状況になった時に、先生だったらあーみんなに手が行き届いてないなぁと反省したり、親だったら今日もあの子に怒ってしまった。と落ち込んだりするわけです。
特に子どもとの関係性があまり良くない時期なんかは、泥沼にはまったようにどうしたらいいんだろうとすごく悩みますよね。
子どもと信頼関係が築けているのだろうかと。
ここで、子どもと信頼関係を築く上でアンカーとなるのがエリクソンの発達段階です。
エリクソンは心理学者でアイデンティティの概念を生み出した方です。
今回は 領域研究の現在「人間関係」 と言う本で、友定啓子氏がエリクソンの発達課題について分かりやすく説明していますので、それを参考にお話ししたいと思います。
エリクソンは、人生の生涯を見通したときに、それぞれの時期で発達の課題があることを示しました。
そして、人生の初めの課題として、乳児期の「基本的信頼」の獲得をあげています。
これが私たちに課せられる人生の初めての課題です。
ちなみに、生まれてからはじめの1年間に子どもが獲得すべき発達課題として、基本的信頼を上げ、それに続く幼児期の課題は、2〜3年間で「自律性」、4〜5年間で「積極性」を上げており、全部で8つの時期による発達課題を挙げています。
ポイントはこの段階の発達課題を達成しなければ、次の段階には進めないと言うわけではありません。エリクソンはすべての発達課題が一つの「機能的な統一体」と言っているのですが、要はすべての課題がそれぞれの時期に相互に関わり合っているものの、それぞれの年齢で一番大事だと思われるものを優先しているのです。だから基本的信頼もはじめの1年間は優先的な課題ですが、その後もこの基本的信頼の課題に取り組む事はできるし、必要でもあることを示しています。
むしろ、他者と信頼関係を構築する事は、大人になってからの方が大事な課題でもありますよね。
また、この乳幼児時期は、自信よりも、信頼が大事だとエリクソンは考えています。
確かに、自信は時として競争の結果、他者より優れていると実感した時に成り立つこともあり、もし自分より優れた人が現れればその拠り所となる自信はすぐに崩れていきます。
一方で、他者への信頼と自分への信頼は、関わりの中で育まれていくものであり、そう簡単に揺るがないものですよね。
さあここから確信に入ってきたいと思います。
エリクソンの基本的信頼の獲得でとても大事な点は、
基本的信頼が基本的不信を上回れば良い
と言うことです。
人は人と関わっていれば必ず信頼する経験だけじゃなく不振を感じる経験もします。
それは大人が愛情を持って懇切丁寧に関わっている赤ちゃんでさえも、不信を経験します。
例えば、大人と一緒に遊んでいた赤ちゃんがカラコロと鳴るおもちゃに興味を持っていたので、料理をしようと少し離れて台所に立つとします。しばらく赤ちゃんは一人で遊び遊んでたいのですが、ふと顔を上げると、今までそばにいた親がいなくなって不安を感じ泣きます。この時に今までいてくれた大人の人がいない不信を感じるのです。ですがそうやって泣くと、また大人が来てくれるので安心できる状況になります。
親も保育者も万能ではありません。子どもと接していれば最初に紹介した事例のように子どもの期待に添えないことがたくさん起きます。その時に基本的不信を体験することになるのです。
逆を言えば子どもが基本的不信を体験する事は関わりがある以上当たり前なのです。
大事なのは、保護者や他者に対して不信を経験しながらも、信頼が上回ることです。
汗をかいて帰ってきた子どもに麦茶をあげたり、子どもが熱を出した時に看病してあげたり、そのほかにも一緒にお風呂に入る、料理を作るなど、日々の生活での何気ない関わりで信頼関係は十分に築けているのではないかと思うのです。
たとえ子どもを何度か怒ったり、注意したり、期待に添えなかったとしても。
マクロな視点で見て基本的信頼が不信を上回れば信頼関係は構築できているのです。
今、子どもと関係性が悪化していたとしても、今まで築いてきた信頼関係と今後の関わりで、相対的に信頼が上回れば良いのだと思います。
保育の現場でも、基本的信頼が不信を上回ればいいと言う考えは私たちの気を楽にしてくれます。
例えば先生達は何らかの理由で泣いて登園してきた子どもに対応する一方で、他のクラスの子どもたちとのスキンシップをとる時間がなければ、帰りに一人一人とハイタッチして、心を通わせる時間を作るなど、様々な場面で、できるだけ一人一人と暖かい信頼関係を作っています。
友達関係も同じだと思います。思いの食い違いや意見が異なることで、いざこざが起きることもありますが、それ以上に友達と遊ぶと楽しいから一緒にいるのだと思います。これも基本的信頼が不信を上回っているからだと思います。
友達とうまくいかなくて、距離を置くことがあります。そしてまた別な友達と仲良くなることもあります。
人への不信よりも、人への信頼が上回る経験だと思います。
家庭にしろ、こども園にしろ、普段の何気ない子どもへの対応が、子どもが他者に信頼を寄せ、自分を信頼する土台になるのだと思います。
それはちょっとやそっと子どもを怒ってしまったり、子どもの期待に添えなかったとしても不信が上回る事ではありません。
子育てや保育で上手くいかずに悩んでいたとしても、一番大事な子どもとの信頼関係はほとんどのケースで築けているはずだと思います。
信頼関係の構築は関わりを通して信頼が不振を上回れば良い。
子どもや他者と信頼関係を築く時はこれをアンカーにして関わると気が楽になるのかなと思います。